俺の三分の一程度の人生経験しかないガキなので、主張は稚拙で、俺に響く要素は皆無だった。
別にけなしてるわけじゃない。
ガキなんてそんなもんだろうし、不特定多数に向けて「主張」をしている時点で俺の幼少期と比較すると、相当優秀な逸材と言えないこともない。
今回は、小学生にして不登校を選択して、youtuberになったゆたぼんの選択について俺なりに考えてみようとおもう。
俺がやつの親だったら
まず、何が嫌なのか聞く。
あと、俺の知る限り、学校も色々だと思ってる。
単純に一定水準以上の頭脳が必要な学校と、雑多な連中ががん首揃えてる学校とでは、特色が異なるだろう。
教師に目を向けても、やる気にさせられる、的確に指導できる、ようは教育能力の高い人間と、ゴミみたいな人間との間には、同じ仕事をしてるとは到底思えないほどの差があるだろう。
同僚をいじめて喜んでいるような馬鹿や、子供を性的にいたぶったり、盗撮行為をするようなクズは、そもそも教師じゃないだろう。
なので、
嫌な理由がクラスメイトだったり、先生だったとしたら、
「よし、そうかじゃあ、お前は明日から学校行かないでよし!」とはならない。ありえない。
では、なんで簡単に、学校いかないでOKの選択を俺はしないのかと言えば、ガキなんてわがままな生き物だと思ってるからだ。
ガキにも色々あるだろうけど、自分は子供の頃、好きなことしかやりたくなかったし、やりたくないことばかりが目の前にあった。
本を読みなさいとか、わけのわからない昔ばなしとか、数字を足したり引いたり、社会の工場がどうとか、生物がどうとか、どれをとってもさほど楽しいことはなかった。
図画工作もぶっ壊したら怒られるし、唯一楽しかったことはサッカーとテレビゲームくらいのもんだった。
そんな子供に、やりたいことだけ選択させたら悲惨だとおもう。
俺はたまたま、何をやっても面白いとは思えなかった。
けれど、人によっては、とっかかりは嫌だな〜だけど、打ち込んでみたら自分に向いててハマってしまった・・・なんてことは普通に起こる現象だろう。
それを引き起こすには、ある程度の強制力が必要となる。
そういった多岐に渡る可能性をすべて捨ててまで、やりたいことだけを選ぶ行為に価値はないとおもう。
ちなみに俺は、二十歳を過ぎてから読書にハマった。
それまでどれだけ親に言われても、いやいや目を通す程度だった俺が、小説からノンフィクションまで色々な本を読み漁る時期があった。
嫌いだと決め込んでたものが、ときに反転することはある。
子供の吸収力は高いので、いろんな種を蒔いといて損はないだろう。
二十歳を過ぎて、やってみようと思ったときに、当時は無駄に感じていた勉強が活きるかもしれないんだ。
結局正解はわからない
結局正解はない。
俺が考えて話す内容は、俺の体験から言えば大正解だが、他人にとっては不正解の可能性がある。
俺は中1から高1までイギリスの学校にいたし、帰国後、半年くらいは不登校をして、通信制高校を卒業して、大学を中退した。
割と普通ではない道のりを歩んだ状態のおっさんの視点、でしか話せない。
だから俺と全く環境の違うガキにとっての正解など、わからんのだ。
俺のガキがどうしても学校に行きたくないとなり、賛同するとしよう。
賛同するにしても、俺は条件を出す。
専門家と一生懸命考えて、その後、何年間のカリキュラムを徹底的に作り上げる。
普通に学校に行く以上の地獄をそいつに見せることをお約束する。
てか、楽したいから学校から逃げたいみたいな発想で、それを正当化して俺に情で訴えてくるようなやつには、地獄を見せるしかねえだろw
俺にとって親ってのは、どっちかっていうとこっち寄りだ。
よき理解者、なんて甘いもんじゃなく、厳しい存在だった。
別に意地悪されたとか、助けてくれないとか、そんなどうしょうもない親じゃないが。
なんか、一緒になって活動を応援するみたいなスタンスがみてて気持ちわりいわ。
子供の教育上、そのほうが育まれるのかもしれないが、そうやって育ってないもんでねw
さっきのカリキュラムだけど、なんかゲームみたいな感じでやりたいな、俺が作るなら。
どのステータスをメインに育てるかをまず検討して、それを上げるにはこの授業みたいな感じでバランスを取る。
今の教育は昔っからの科目があるだけでしょ。
そうじゃなくて人間性能、スタータスの視点で、どこを伸ばしたいのか。
トークスキル、愛され度、セクシーさ、
まぁ、なんだかわからないが、大人になって世の中で戦う上で其の親が重要と思うスキルを中心に育てるためのカリキュラムを独自に作って、共有していくとおもしれえんじゃないか。
クックパッドみたいな形で。
うちはこのカリキュラムで、このステータスまで育てましたみたいな。