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学校嫌いは天才の可能性が高い?

更新日:

学校が嫌い過ぎる、
行きたくない。
こんな自分って情けない存在なのかな?
ひょっとして天才だから、周囲と合わなすぎるだけ?




今回は、そんな内容について、私なりに発信していきます。



私はずっと学校が嫌いでした。



もっと詳しく言えば、中学校以降、学校が嫌いで、高校生になると不登校になった時期も体験しています。



そんな私が考える「学校嫌い」についてをお送りします。



学校嫌いと天才の関連性




学校が嫌いなあなたが、天才である可能性はあります。



生まれつき備わっている,きわめてすぐれた才能。また,その持ち主。



辞書をひくと、こんな説明文が出てきます。



私の発想だと、この世に生まれ落ちた時点で皆天才だと思っています。



というのも、人間の能力なんてものは、日々の習慣、意思、行動の掛け合わせで、どんな形にでも変容可能だからです。




たとえば、うんこを投げるしか能のない、どうしょうもない馬鹿がいたとしても、それはそいつの現在地でしかありません。



なぜ私はうんこを投げているのか

意外と肩が強いな

悪臭に対する免疫力の強さはなんだ、異常だぞ



投げるところから、一歩視点を変えて、自己分析をはじめた時点で、「うんこを投げるだけ」の人間から、変化が生じます。



うんこの投げ方に工夫が加わり、投げる行為に意味を感じ始めることでしょう。



自分の細微な能力にも自覚的になり、それを活かす術を脳が勝手に考え始め、ビジネス展開できるチャンスが降臨するかもしれません。



うんこを投げるだけの奴ですら、こうなるんですから、ほとんどの人類が、考え方や行動を変えることで、スーパーなものを出力できるはずです。



だからまぁ、ここまでをまとめると、学校の好き嫌いにかかわらず、「天才性」の源は、全ての人類に備わっていることになります。



ただ、確率として学校が嫌いな人のほうが、天才が多いかと思います。



もっと言えば、交友関係が多彩で、日々の学校生活を楽しめている人物よりは、孤独者のほうが天才性を発揮するチャンスに恵まれている・・・と私は考えています。



というのは、自分の能力を最大化する(天才性を発揮させる)には、明確かつ具体的に、自己分析をする手順が必須だからです。



天才のイメージって、何も考えずに、自然発生的に凄いことをしちゃう人間。



みたいなイメージがありますが、そんなこたありません。



大概が、自分の感覚や感情に対してブレーキを掛けずに、努力感なく行動を続けられるから、大きな成果が結果的に得られているだけです。



だけってことはありませんが、「努力感」が伴わないので、逆に凄さが演出されているのです。



何事も、継続しなければ大きなものに発展しません。



で、継続させるには、2つの種類があります。



  • 歯を食いしばって根性で続ける

  • 快に身を委ねるが如く、楽しみながら続ける



どちらも、継続した、その側面では同じですが、本人の疲労感と行動の質には雲泥の差が生じているのです。



同じ時間を費やしても、質が違うし、「疲れ方」も違うため、両者の行動は、繰り返せば繰り返すほど、大きな差となって、表面上に表れてしまうのです。



だから、あなたの中にある天才性を発揮するには、自己分析をして、どこに向かって走れば、楽しみながら継続できるのかを明確化すること+、



色々な刺激を体と心に取り入れて、楽しめそうな分野を開拓しておく行動が必要となります。



さて・・・いつにも増して、かなりグッチャグチャに書いていますが、ある程度伝わっているでしょうか?



天才性はみんなにある、引き出せるか引き出せないかの違いだけ

天才性を扱うには、自分をしっかりと知っておく必要がある

天才と思われる人間で、嫌いなことを無理してやっている人間など一人もいない



まとめるとこんな感じでしょうか。



学校嫌いなただの馬鹿だった場合




自分を明確に知る、分析するには、高い知力が必要になります。



あなたがどうしょうもない馬鹿の場合、考察しようと思っても、「??」みたいな感じで、思うように進まない状況もあり得るでしょう。



パソコンが如何に、ビジネスの幅を広げるスーパーアイテムだとしても、原始人に与えては効果はでません。



与えたところで、うんこのついたケツを拭く道具にするだけでしょう(なんでだよ)。



だからまずは、現時点の知力のなさを自覚し、少しづつ改善する必要があります。



マラソン大会で完走したい。



が目標の人が、なにもせず、昼寝を繰り返したまま本番を迎えることはありませんよね。



何事も準備が必要です。



何かをしたい、違う自分をクリエイトしたいと思っている人は大勢いるはずなのに、どういう訳か、ほとんどの悩んでいる連中は「現時点」の自分の手札でしか、選択肢を見出そうとしません。



文章を読む、
文章を書く、
体を動かす、
身体を全身的にゆるゆるに解きほぐす



私が考える知力を向上させる方法は以上です。



できることから、進めていき、同時進行で自己分析を行い、何に向かって行動をしていけば、快感なのか。



また、その快感を継続することで、何が得られるのかをしっかりと考えると良いでしょう。



私が学校が嫌いだった理由




私は少数派でした。



似たような価値観を共有できる人間が、クラスの中にいたのかどうかも定かではありません。



居心地が非常に悪かった。



クラスで面白いとされる状況、行動が、私にとってはてんで面白くなかったのです。



友人は一人二人いました。



彼らとの交流は、それなりに面白かったわけですが、他の大多数のクラスメイトは、我々が何で面白がっているのか、逆にてんで理解していなかったことでしょう。



日本人の特質なのか、人類の特徴なのか知りませんが、人数が多いほうが堂々としてきます。



声がでかくなる特徴がある。



非常に鬱陶しい。



また、中学校に入ると、クソみたいなルールの押し付けが始まりました。



私は自転車で登校していましたが、校門に、教師が立っており「挨拶」の強要が始まりました。



別に教室に入って、そこで再度挨拶が行われるのだから必要ない。



私はスルーすると怒られました。明確な説明もなく、一方的に怒るのです。



挨拶をしない行為に対して。



お前がそこに突っ立っているせいで、無駄な挨拶の手順をこちらが踏まなければならなくなっているだけではないか。



当時の私は、自分の思考を明確に言葉にする術を持っていませんでしたから、何も反論できず、苦肉の策として、教師が立たなくなるギリギリを狙って登校するようにしました。



靴下を左右の色を変えて履いていると、その矯正も始まりました。



どーでもいい。



靴下の左右の色が違うと、私の肛門のサイズがワンサイズ下がり、ちいさなうんこしかひり出せなくなり、便秘になり不健康になるとでも言うのか?



サッカー部に入っても、謎の強制は、当たり前のように横行していました。



先輩をみたら挨拶を"しなければならない"



私は苦肉の策として、先輩を見ないようにして部活を開始しましたが、さすがにムリで、「なんで挨拶しないんだ」と文句を言われるハメになりました。



逆に問う。



なんで挨拶をする必要性があるんだ、明確な答えを口にしてみろ



・・・とは言えず、私は大好きだったサッカーに打ち込むことなく、部活をサボるようになっていきました。



このように色々な事象が耐えられなくなり、私はイギリス行きを決意しました。



最初は大反対されたものの、とにかくこの環境をなんとかしてくれと、何度も説得して、親の許しを得たのです。



私の家庭は、金銭的には恵まれていたので、その点は幸運でした。



お金のない家庭であれば、そう簡単に中学生をイギリスに留学させることなどできないでしょう。



自分の子供に伝えたいこと

Couple of female high school students writing on a white board during class





私が子供を授かり、その子が中学生になる頃には、今の日本の学校教育の仕組みは、もっと違ったものに変わっているかもしれません。



私は昔から思っています。



クラス単位やめろと。



なんでもかんでも、そのクラスで一緒。



息苦しいったらありゃしない。



同じような感性を持った人間が、揃っていれば、そりゃ楽しいだろう。



しかし、私のように、そうはいかない人間も存在しており、そういう人間にとっては、そのクラス単位の管理システムこそが、学校嫌いの大きな原因を生んでしまっているのです。



私が通っていたイギリスの学校では、クラスなんて概念は特になく、教科毎に教室があって、そこで授業を受けて終わったら、移動でした。



学校には寮があったので、そこが日本におけるクラスの教室みたいな役割を担っていたのかもしれませんが、質は全く異なります。



寮なので、自分の空間がある。



クラスの教室では、自分の空間などあって、ないようなものです。地獄です。



子供に伝えたいことは、



学校が楽しい
学校が嫌い



かによって、内容が変わります。



仮に学校が楽しいのであれば、親である私から伝えることは少なくなるでしょう。



もっと楽しむように頑張れと。



それから、自分の本当の感情に嘘を付くな、程度になるはずです。



一方で学校が嫌いな子供になった場合は、色々と伝えられることはあると思います。



なぜって、私もそのルートを通って大人になったからです。



まずは、カウンセリングでしょう笑。



子供がどうしたいのかを最大限尊重しつつ、そのゴールに向かう行動や考え方を、押し付けない程度に小出しに提示していきます。



いずれにせよ、嫌いなら嫌いと、早めに言えとは先に伝えておきます。



嫌いと好きは表裏一体で、何が嫌いかに無自覚な人間は、正確に好きなものを捉えることができません。



だから、なにかが嫌いである事実を口にすることは、何も恥ずかしいことじゃない。



あんまり他人に、◯◯が嫌い、△△が嫌いの話をすると、鬱陶しく思われるけど、私は君にとって「他人」ではないだろう? なんでも言っていいんだ。



と伝えることでしょう。



・・・結婚して子供を授かる予定もないのに、そんなことを思っている。



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