私のブログ

soblog

不登校

不登校を親のせいにするガキへ!その発想は全く無意味な件

更新日:

不登校は親のせいだと僕は思っています。
だっていつも◯◯だし、
昨日だって、△△だったし、一昨日なんかちくしょう!!
☓☓☓でゲロゲロ☓☓だったんだぜぇえ!!!!




今回は、こんな感情を抱く子供へ、回答をしたいと思います。



私自身、不登校の経験がありますので、何らかの参考になるはずです。



不登校を親のせいにしても意味はない




不登校になる原因は、人それぞれあるでしょう。



学校の先生と会いたくない

学校のクラスメイトと会いたくない

とにかく学校に行くと嫌な想いをするので行きたくない



私が不登校をしてた理由は、おそらく、上の全てに当てはまります。



部活の先輩や部活の監督もうざかったですね。



私の場合は、特に「親が悪い」と感じて不登校になったわけではありませんが、責任の所在を「親」にしてしまうとかなり大変になるとは思います。



なぜって、大概の子供にとって、親と絡む時間は長いし、同じ家に住んでいれば毎日顔を合わさざるを得ないからです。



常時、ストレスを感じてしまう意識構造を自分の中に抱えてしまうわけですから、マイナスしかないです。



だから、私の中では、親が悪いと発想してしまう時点で無意味だと思っています。


意味はないだけで実際には親のせいってこともある




母親がちゃんと飯を作らない、グータラ

両親が絶えず喧嘩ばかりで、汚い罵り合い

暴力をふるわれる、無神経な発言ばかり与えられる



テレビのドキュメントや、私の想像ですが、例えば、上のような両親の子供だったら、心は安定しません。



こんな環境で毎日生活していれば、絶対、この親のせいで私はこうなった・・・と思うのも仕方ないでしょう。



私もよくよく考えれば、母親の過度なおせっかい、色々なことに口を出す姿勢に自主性を奪われ、学校生活において苦労を強いられた・・・などと、ネガティブ要素を引っ張り出すことは可能です。



また、それはある意味、事実でしょう。



しかし、そんな部分に焦点を当てても仕方ないのです。



この際、実際がどうだとかは、関係ないです。



確実に親が悪いとしても、その方向で発想するのは、やめろ、という話をしています。



親の直してもらいたい箇所を指摘し、親からも自分の至らない点を指摘してもらい、お互いにもっと生活しやすい状態に話し合いで改善できる・・・その可能性が1%でもあるのなら、まずはチャレンジ。



無理とわかれば、自分を変える方向で少しづつ努力を進めたほうが、話は早いですし、その先には未来があります。



あなたが現在学生で、不登校であれば、悩みの種は学校生活ってことになりますが、生きていれば、色々な悩みが生じます。



悩みが出現するたび、なんでだよ・・・と誰かを呪ったりしているだけだと成長がないので、次に活きません。



一方、発生した悩みに対して、自分なりに取り組んでみる。



この悩みを解消するには、何が必要なのか。



プランを立て、行動する。



焦らずに、少しづつゴールに向かって行動を続ける、みたいな姿勢だと、あなたの未来は確実に明るいです。



なぜって、苦しみに対して「自己対応」できる自分が形成されるからです。



最初は大変かもしれませんが、人のせいにして文句言ってるより断然楽になれます。



手順を以下に整理します。



  • 辛いこと、悩みが生まれたら「考える」

  • 自分をどう変革すれば、楽になるのか

  • ゴールから逆算して、今は何に取り組めば最善なのか

  • 1歩目の行動を取り、継続させる



これができるのと、できないのとでは、人間の一生に大きな差が生じます。



辛いこと、悩みに対して打ちのめされる

愚痴、文句をひたすら吐いて、気持ちを一時的に発散させる

それでも気持ちが収まることはないので、誰かの責任にして攻撃する

誰かを攻撃しても攻撃しても、根本的な解決には至らず、どうでもいいやと投げやりになる

結果、一歩も前に進むことなく、時間とストレスと、ネガティブな思念だけが、心と身体に垢のようにへばりついておわり。



目の前の問題を自分を変えることで対応しない場合は、上のようなパターンになるかと思います。



イライラが蓄積していくと、全うな思考回路も形成されにくくなるので、短絡的な発想から、周囲の迷惑になる行動も取りやすくなっていきます。



そのような人間に、幸せな未来など待っていません。



親に限らず、他人のせいにしないほうが良い




このように、親に限らず、他人の責任するのは金輪際やめましょう。



理由は再三書いているように、自身の成長を妨げるだけだからです。



  • 対友人

  • 対恋人

  • 対仕事関係



根本的には一緒です。



確実に相手が悪い場合でも、関係ないです。



相手に対して、どうこう取り組む作業は、費用対効果が悪いです。



一生懸命誠心誠意、私はこのような点が違うと思うので、変えてくれませんかと相手に要求したとして、「そうですか、はい、ではわかりました」となれば、話は早いですが



「確実に相手が悪い」ような相手は、そう簡単には変化しません。



こちらがどんなに論理的に、時間を書けて説明したところで聞く耳を持たない場合もあるでしょう。



それは時間の浪費プラス、心的ストレスのおまけ付きだと思います。



そんな行為に時間を消費するくらいなら、発想を変える、自分が変わる。



如何に、相手と関わらないようにするか、距離を取れる方法を模索する。



丹田などを呼吸法で刺激して、相手からそれまで受けていたストレスに対して耐性を作れないか、身体的なコントロール法を積み上げる。



あくまで、主体を自分にすることで、未来はより良い状態にブラッシュアップすることができます。



恋人にしたって同じです。



好き同士であれ、違う人間ですから、多少の摩擦を感じる瞬間があるでしょう。



なんでこいつ、こんなんなんだ・・・



その時に、自分色に染めようと努力を重ねるのは徒労です。



できる範囲内のこともあるでしょうが、無理をさせれば、どこかでリバンド的なやつが返ってきます。



ベストはやはり、こちらが変わる。



悪いと思ってた部分を、見方を変えて好きになるとか、悪い部分は見ずに、良い部分を褒めるなどです。



物事を他人の責任にしない発想法の源

Processed with VSCO with c9 preset





最後となりますが、不登校になっちまった自分であれ、色々とうまくいかない物事に対して、


「あれが悪い」
「これが悪い」
「あいつのせい」
「こいつのせい」



と、ならないための源をお伝えしたいと思います。



それは体中を「ふにゃふにゃ」にすることです。



鎖骨、胸周り、腰回り、股関節、この辺りがこわばっておらず、ぐにゃぐにゃとろとろになっている人間で、



「あれが悪い」
「これが悪い」
「あいつのせい」
「こいつのせい」



このような精神構造の人間はまずいません。



理由は簡単で、上記の部分がふにゃふにゃに柔らかいと、精神的に落ち着いてくるからです。



すぐに、かっかしたり、ネガティブなことばかりが脳内を渦巻いているような連中は、大概、身体中が硬いか、運動不足になっているはずです。



だから、自分を変える手順としては


「思う」部分から入ると失敗します。



よおし、人のせいにしないでみよう・・・みたいな感じで「思う」部分だけを変えようとしても難しいです。



なぜなら、器である肉体が、そうなってないからです。



要するに、公衆便所の中でいくら、「南国気分」を頭の中に広げようとしても、難しいですよね。



カチカチに動かない肉体で、思う部分だけを変える行為は、私にとっては↑の例と同じです。



まずは、身体を緩めて、自然と前向きな感情が生まれてくる肉体的な条件を整えた上で、意識を変えてみましょう。






-不登校

Copyright© soblog , 2019 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.