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努力で才能ある人に勝てますか?に関連する内容をまとめた!

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努力で才能のある人に勝てますか?

あと、努力できるのも才能って聞いたことがあるんですが、

それについてもおしえてください。




今回はこんな内容についてお伝えしようと思います。



てか、根本的に世の中の多くの人達ってざっくりとしか、頭を遣わないように感じています。



「努力で才能ある人に勝てますか?」



たぶん、こんな風に普通に考えて普通に疑問を抱いている人間は、無数にいるでしょうが、いや、待てよと。



その才能ある人の才能ってどの程度なのよと。



自分と比較してとてつもないほどの才能なのか、ちょっと凄い程度なのか、また戦うジャンルは何なのか。



詳細が分からなければなんとも言えないって思わないのでしょうか?



また詳細次第で、物事の答えって時に真逆になるって、なぜ分からんのだろうか。



私はずっと、サッカーをやってきたので、サッカーを例に考えてみます。



私は多分、才能に恵まれていたほうでしょう。



ボールを扱うことが得意だったし、とても楽しかったので毎日ボールを蹴り、気がついたら同級生の中では、最も上手い子供になっていました。



しかし、イギリスに留学してみると、私より凄い子供がいっぱい居る事実を目の当たりにします。



キックの精度、単純な走力、ドリブル技術、ゴールを奪う決定力・・・色々な部門で必ず1人は、自分よりも先行しているプレイヤーがいたのです。



さて、私が例に挙げた状況は、優れた能力を持った人間が、更に優れた能力を持つ人間に相対している状況ですよね?



しかし、



「努力で才能ある人に勝てますか?」



こんな漠然とした問いかけだけでは、発言者の能力の質も分からないので、正直答えようがないと思います。



私のように、サッカーが基本的に上手じゃない人間が、イギリスで私が出会ったスーパーな連中に勝てる見込みは、限りなくゼロです。



つまり、サッカーの、私が上に挙げた例で考えると、「もともと才能がない人間の努力では勝ち目はない」と結論付けれます。



しかし、スーパーなイギリス人と出会うことで刺激を受けた私は、密かに努力を重ね、独自の理論でゴールを量産できるようになり、もともとトップスコアラーだったチームメイト以上に、ゴールを決められるようになりました。



この事実からは、才能だけに頼ってプレーしていると、工夫をしたり、正しい努力をしてくる奴の前には、あっさりと負けてしまうとも言える。



まとめると、



ちっとも才能が感じられない。向いてない。自分でもその取り組みが「楽しい」とすら感じられない事柄においては、努力ってのは、一切の勝利に結びつく可能性が低い。

一方で、自分にある程度の能力がある、向いてるかもしれない、なによりも、取り組む対象が好きで熱中できる場合においては、才能で引き離されていたとしても、逆転は、不可能ではない。



となります。



目次の前になんだか、長く書いてしまいましたが・・・



努力で才能のある人に勝てますか?

あと、努力できるのも才能って聞いたことがあるんですが、

それについてもおしえてください。




冒頭のこいつの、アホ質問に対する私の回答は、こんなところです。



「努力できるのも才能」に関しては、後述します。



「努力できるのも才能」に関する私の意見




上位表示している記事のひとつに「努力できるのも才能」は次元が低い努力できない人の言葉。」なる記事があったので読んでみた。



言いたいことは所々分かるが、正直、今ひとつよく分からんかったので、私がこの場でスッキリとまとめることにする。



「努力できるのも才能」



これも結局、



「努力で才能のある人に勝てますか?」と全く同じです。



ざっくりしすぎなんだよタコって話で、回答は切り取る角度によって変わるとしか言いようがない。



その努力って具体的になんだよ?



また、できるってどの程度のできるを指して言ってるんだよ?



1日1分の努力を1ヶ月間なのか、毎日8時間を10年間なのか、さっぱり分からない。



"1日1分の努力を1ヶ月間" だって、毎日8時間努力できちゃう人間の視点で見れば、そもそも努力してないと思えるが、1日1分の集中力も現時点で持っていない人間にとっては、1ヶ月も継続できたのか〜〜とシビレルほどの努力に思えてしまう。



繰り返し言いますが、



どうして日本の一般ピーポーどもは、こういうところを詰めずして、1個の解を得ようとするんだろうか・・・マジで不思議でしょうがない笑



んなもん、状況次第だろ。



ちんぽは硬いほうが良いったって、眼前に女がいない状況でおっ立ってたって邪魔でしょうがないし、場合によっては、牢獄のリスクさえ発生するので、ちっとも良くないと言える。



話が脱線したが、



努力できるのも才能です

しかし、努力しているようじゃ、圧倒的な勝者にはなれない



簡単な話です。



目の前の取り組みが、退屈、楽しいにかかわらず継続して続ける行為を「努力」と考えた場合、それができるかどうかは、才能というか持って生まれた性質の差でしかないでしょう。



私は、自分が楽しいと思えること、自分の工夫が1ミリでも反映されないような、自分がやる必要性が一切感じられないことに対しては全くの努力ができません。



しかし我が母は、予め「やってください」と言われたことであれば、自分の感情がどうであれ、淡々と継続してモクモクとやり続けることができるという。



このような側面を目の当たりにすれば、「努力できるのも才能」だと感じられることでしょう。



しかし、努力している程度じゃ、なんにも得られないし、勝者にはなれません。



「努力できるのも才能」は次元が低い努力できない人の言葉。」の記事にも記載の通り、どのジャンルでも先行するような連中は、努力がどうとかいう次元で行動してないからです。



もっと強い欲求とか、衝動に従って当たり前のように行動して、結果を得ているだけです。



だから、努力しなければ続けられない程度の興味、熱量しかないのであれば、そもそも勝てる見込みは少ないと思います。



もっと自分に向いてること、没頭できること、大好きなことを見つけて、そこで戦う必要があります。



また、「努力できるのも才能」は次元が低い努力できない人の言葉。」の記事のコメント欄経由で、


http://karapaia.com/archives/52086226.html



この記事を読んだが、こっちも今ひとつピンとこなかった。



だって、クソつまんない行動において実験を行っただけじゃん。



そこに快を見い出せた方が優れてる→努力できる人、みたいな論調だが、そこで快を見いだせなかった人間のほうが、本人にとってとっても執着できるジャンルにおいては、圧倒的に快感を得られるかもしれませんよね。



自分にとって向いてること好きなことにおいて、どのように脳が変化したのか、まで実験しなければ、意味ないだろ。



頭を柔軟にして自分なりの勝ちの方程式を作るのが良い




結局、大切なことは頭を柔軟にすることです。



頭の硬い人間は、上のリンク先の記事の実験結果を見て、「自分は努力に対して快を見いだせない脳を持っているに違いない・・・」と決めつけて、努力に対して漠然と更に苦手意識を確定させて、努力しない選択肢を取る自分を慰めつつ、年老いて灰になっていくのでしょう。



一方で私のような人間は、すぐに別の選択肢を頭に浮かばせるし、何よりも自分を否定するような発想は一切沸いてきません。



てか、ごちゃごちゃ考える必要などなく、好きなことを見つけて、取り組む・・・その経験を積む。



経験値が低ければ、途中で集中が切れるので、一息入れる。



疲労感を抜くような体操をしたり、睡眠の質をあげる選択肢を取る。



翌日も好きなことに対して、ひたすら取り組んでみる。



努力とか才能とか、そんなものは、ただの言葉だし、ごちゃごちゃ考えても時間の無駄です。



自分の好きなこと、向いてること、長尺で取り組むに足ると、自分で判断できる内容にまずは、向かってください。



話はそこからです、、、というか、それが全てです。

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