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心と体の問題

努力が報われないとか言って疲れてる奴へ

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努力しても報われないんです。
てか、努力しても無駄な気がしてるんですが、
どうしたら良いですか




今回はそんな内容について、私の考えを記述していきます。



私は「努力」って言葉がそもそも好きではありません。



言葉が嫌いというより、周囲の人間の努力に対する認識が浅いので、言葉が嫌いになったのかもしれません。



◯時間やったとか、徹夜したとか、そのような浅い物差しで、多くの人々は誰かの「努力」とやらを評価しがちです。



そんなものは、努力と言えるのか、そもそも努力したら良しとする意味もよく分からないのです。



努力が報われないとか言ってる時点でヤバイ




多くの賢人が言ってると思いますが、



・努力をしている意識が介在している時点で足りてない

・努力の方向性がそもそも間違っている



ってことです。



なんでだ〜〜!!とか嘆く前に以上の2点を速やかにチェックしたほうが良いです。



努力をしている意識が介在している時点で足りてない




これはつまり、物事への取り組みが浅いってことを意味します。



深化すれば「没頭」の領域になり、没頭の領域になると、余計な意識が省かれますから「努力している」感じがなくなります。



更に反復していくと、その取り組みが努力ではなく、当たり前にもなっていくので本人の意識として、努力をしている感じが更に薄れていきます。



だから、より深く取り組み、更に習慣化させるとこまで行ってないので、「やったのに」と思っちゃっている。



その時点で甘いってことです。



努力の方向性がそもそも間違っている




次はより、シンプルな話です。



短距離走を早くしたいのに、マラソンを走っていてもあまり効果はないでしょう。



目的に対して、最適な努力をしなければ、得たい効果は得られません。



ただ、取り組みの質と本人のレベル次第では、段々、何が最適な努力なのか見えにくくなることもあるかと思います。



短距離走にしたって、ただただダッシュを繰り返していても、一定以上のレベルからは成果がでなくなるはずです。



そこからは、コーチや自分の脳みそを使って「トライ&エラー」を繰り返して、何が自分を成長させるための努力になるのかを、自分自身で見出す必要があります。



これをやれば、こんな成果が出る、よしやろう。



こんな単純な話なら、世の中、努力の上手い、超人ばかりになっているはずです。



しかし、そうはなってない。



なぜなら、深く考えずにただ努力をして、失敗して、その結果を見て、「努力」そのものを否定的にとらえて、再度、何かに挑戦することを止めてしまう人がまず多いし、自分の頭を用いて取り組みの方向性について検証するような人間も極めて少数だからです。



努力は見方を変えれば報われてないことになる




もう既に、陸上競技を例に出して説明しちゃいましたが、ゴールの方向に向かった努力でなければ、そりゃ報われません。



筋肉を付ける、みたいな抽象的な目標設定であれば、どんな形であれ、ゴール方向に向かうことでしょう。



デブな女を街で探したら、背後から担ぎ上げて300メートルほど走る。



この努力も、筋肉を付けるゴールに近づく取り組みです。



下半身を中心にかなりの筋肉量の増加につながることでしょう。



また、300メートル先で女をおろしたら、多分怒ってビンタをしてくるでしょうから、それを避ける時に背筋が鍛えられます。



仮にビンタを避けきれなかった場合は、衝撃を耐えるために首の筋力が鍛えられることでしょう。



このように・・・抽象的なゴール設定であれば、何をしたって成果に結びつくってことです。



しかし、「筋肉を付けて女にモテたい」がゴール設定で、上の取り組みをしていたら確実に報われません。



なぜって女にモテるには、外見的要素以上に相手の心を思いやるって言うか、理解する部分が必要不可欠だからです。



それなのに、見知らぬ女を背後から担ぎ上げるトレーニングに取り組むなんてのは、他人に対する配慮が足りません。



背後から担がれたら怖くないだろうか。



自分がダッシュしたい方向に走って、相手は迷惑じゃないだろうか。



担ぎ上げた際に、お尻や腰に痛みを与えていないだろうか。



そういった配慮が一切なく、自分の筋肉だけに執着しているので、それでは「モテる」には至らないでしょう。



全く同じ取り組みでも、ゴール設定次第で報われてないことになる



努力の本質を理解する




もう上でも書いちゃいましたが、



努力の本質は、努力じゃぁなくすること



努力をした・・・なんて思ってるレベルでは浅いです。



努力する行為自体が気持ち良いと感じている人は、いくらでも努力を続けても良いと思いますが、努力をした成果として何らかの形で目標達成したい、ゴールに到達したいと思っているのであれば、「努力」と感じてやる取り組みは、はっきり言って遠回りです。



時間も忘れて没頭する、努力をしたなんて感覚は本人にないレベル。



またそれを習慣化して「当たり前」にする。



この取り組み方のほうが、圧倒的に成果は出やすいです。



また、上記のような感じにするには、工夫が必要です。



誰もが簡単に、自由自在に没頭できれば苦労はありません。



私の場合は、全く興味ない分野への取り組みはしないようにしているのと、耳栓を活用して、高い集中力を引き出すようにしています。



人間には個性があり、好き嫌いがあります。



当然、興味関心があったり、もともと得意なジャンルのほうが「没頭」して取り組める可能性が高く設定されています。



没頭してやれる取り組みと、歯を食いしばって嫌だけどとにかくやらなきゃと頑張ってやる取り組みを比較した場合、前者のほうが簡単に成果が出ます。絶対的に。



あと私は、音に敏感なので余計な音を耳栓でカットするようにしたところ、かなり高い集中力で、目の前のタスクに取り組めるようになりました。



このように、どうやれば没頭できるか、集中できるか、習慣化できるか、当たり前に努力感なしで取り組めるのか、についてしっかりと考えて行動をするべきです。



そこをしっかりと詰めることなく、ただただ時間を費やす行為は、非効率で無駄です。



私の考え-努力が報われないってのは、努力していないに同義




まぁ、簡単な話です。



100メートル先がゴールだとして、走る行為を「努力」としましょう。



努力したのに、ゴールに近づいてない!



と嘆いているようなもんです、「努力が報われない」なんて言ってるやつの状況は。



ゴールに向かって手を動かす足を動かす、なんでも良いから「行動」を取る、そうすれば、どんな形であれ、その行動に対する結果が見えてきます。



近づいた、逆に遠ざかった、いずれにせよ「経験」の蓄積となりますので、それが次に活かせることになりますね。



近づいたのであれば、比較的正しい方向で取り組めているようだ。もっと時間と意識を集中させてやったら、もっとゴールに近づくかも・・・と分析できます。



遠ざかったのであれば、最前の取り組みは何かが失敗していたことになる。



何が失敗だったのかな・・・と考える。



試行錯誤は、ゴールに向かう上で必要最低限の行動です。



そうやって取り組みを継続していき、ゴールに近づかない人間は地球上に存在しないでしょう。



だから、努力が報われないってのはあり得ないし、それはそいつが努力してないからなだけです。

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